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「ソウルの食べ方歩き方」の著者:中山茂大の未発表コラムをどうぞ。


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第9回「韓国下宿生活」
一ヶ月間だけ、新村の下宿にお世話になることになった。
下宿とはいってもマンションの六階に3部屋あるうちの一室を借りるというもので、風呂トイレは共同で、玄関も一緒だった。最初の話だと、僕の他の部屋にはそれぞれ学生とサラリーマンが住んでいるということだったが、実際にはひとつは空き室で、もうひと部屋には航空大学校に通っている西武の松坂似の学生が住んでいた。
部屋は六階にあり、当然ながらエレベーターなんてなかったので、僕は毎日少なくとも三回はこの階段を息を切らしながら登った。
入居するときにもらったカギは玄関のカギと部屋のカギのふたつで、最初に全額払ったので、大家のアジュンマはまったくハングルがわからない僕のことをちょっと困惑したような顔で眺めながら領収書とそのふたつのカギを手渡してくれた。
一度そのカギを部屋に置き忘れたまま出かけたことがあった。
その日は二東マッコリの取材の日で、僕は少々二日酔い気味だったので思わず忘れてしまったんだろう。しかし大家は四階に住んでいるし、スペアのカギは当然持っているだろうから大丈夫だろうと高をくくっていたのだ。
取材から帰ってきてカギを忘れたことに気がついて、僕は大家のところにいった。そして例のアジュンマの息子らしいメガネをかけて、韓国人にしては珍しく頭がはげ上がった男に英語で話しかけた。
「あの、カギを忘れたんですが」
「……」
男は不審そうな顔をして僕を見つめた。ドアもほんの少ししか開けてくれない。たぶん僕がここの住人であることも、この男は知らないに違いない。僕は少々焦った。
「カギがないんですよ。部屋に置き忘れて」
しかし男にはまったく通じていない。
僕はしきりに上を指さすので、どうやら六階に住んでいる日本人らしいというところまでは、男には理解できたようだった。しかし相変わらずなにを言っているのかはまったく全然通じていなかった。このままでは埒があかないので、僕は男の袖を引っ張って六階に連れて行った。玄関はなぜか開いたままだったので、部屋の前まで行ってノブをガチャガチャと回した。もちろんカギがかかっている。そして男の顔を見た。
男はやっと合点したようで、僕になにか質問をした。
「カギはどうしたんだ?」
みたいなことを言っているようだ。
「いや、だから部屋の中なんだってば」
しかし通用しない。いいや、なくしたことにしても同じか。
そうやって僕がわめいていると、男は明らかに迷惑そうな顔をして、
「ちょっと待ってろ」
と言って降りていった。
そしてしばらくして戻ってきた男を見て、僕はその場にひっくり返りそうになった。
なんと男はバケツにいっぱいほどもあるカギの山を抱えてきたのだ。
そして非難がましく僕を睨みながら、
「なんでカギをなくすんだ」
とかなんとかいった。
僕はとにかく膨大な数のカギに絶望して、打ちひしがれたようにその場にうなだれていた。なんでこんなにいっぱいあるんだ。お前のとこは鍵屋か? その前に必要なのだけより分けてしまっておけよな。
男は恨みがましいことをブツブツ言いながら、カギ束から適当なのを取り出して、ノブの錠前にあててはうまくはまらず、また次のを取り出して試していた。
これ全部試してみるのにいったい何時間かかるんだろうか。二時間じゃ終わらないだろう。蒸し暑くて薄暗いこんな廊下で、だらだら汗を流しながらあと何時間もこんな作業をしなくてはならないんだろうか。しかもかみ合わせが悪くて正しいカギを見過ごしてしまったりしたらどうしよう。男が無造作にとっかえひっかえカギを試しているのを僕は不安で胸がいっぱいになりながら見つめた。そして
「もっと慎重にやった方がいいよ」
と言おうとしたそのときだ。
「カチャッ」
なんとものの十個も試さないうちに、スペアのカギを見つけてしまったのだ。
僕たちは一瞬あ然として顔を見合わせた。そして男がひとこと言った。
「ラッキー」
僕と男はさっきまでの険悪な雰囲気なんか忘れて手を取り合って喜びあった。バケツにいっぱいもあるカギ束の衝撃の後だっただけに感慨もひとしおだった。
ひとしきり喜びあったあと、男は元通りのしかつめらしい顔に戻ってぼそっとひとこと言った。
「外に出るときはカギを忘れずにね」
そしてバケツいっぱいのカギの束を抱えて男は帰っていった。
カギは昨日はいたズボンのポケットから見つかった。
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文・中山茂大
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ソウルの
食べ方歩き方
文:中山茂大
写真:Ju Jun Yong
イラスト:水野あきら
山と渓谷社
1200円(税別) |
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ロバと歩いた
南米・アンデス
紀行
中山茂大
(なかやましげお)
双葉社
1,600円(税別) |
「ソウルの食べ方歩き方」の著者・中山茂大の記念すべきデビュー作。ロバとともに南米大陸5700キロ徒歩の旅。強盗に襲われ、大雨にみまわれ、寒い日も暑い日も歩き続けた307日の記録。貧乏トラベルライター中山の原点がここにある。
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ベトナム横丁
喧喧録
水野あきら
(みずのあきら)
文・イラスト
三修社
1,400円(税別) |
「ソウルの食べ方歩き方」の詳細なイラストマップでもその持ち味を充分に発揮してくれた水野あきらの代表作。この本ではイラスト同様味のある文章で我々をベトナムに誘う。人込みの中でしゃがみ、街の底から、底抜けの活気の正体を見つめたベトナムの絵解き見聞録。カラーイラスト多数。
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四国霊場
徒歩遍路
小野庄一
(おのしょういち)
文・写真
中央公論新社
1,700円 |
弘法大師・空海の足跡を訪ねながら四国八十八ケ寺・1,400キロに及ぶ道程を48日かけて歩いた写真家が見たこと、感じたこと。スピリチュアルな写真と珍道中のエピソードで綴るフォト&エッセー。振り回され、助けられ、途方に暮れながら、少しづつ進んでいく等身大の徒歩遍路を読者も体験できるであろう。徒歩遍路必読ガイド&地図付き。
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