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「ソウルの食べ方歩き方」の著者:中山茂大の未発表コラムをどうぞ。


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第2回「怒れるサラリーマン」
その日は宿の日本人と酒を飲んで、帰ってきたのが夜中の十二時過ぎだった。ドミに入ってみると電気はすでに消えており、二人くらいの男が闇の中で横になっていた。僕は起こすのも悪いので、電気をつけずに手さぐりで自分のベッドを見つけてごそごそと横になった。
宿のほかの連中はめいめいがビールを片手に楽しそうに談笑しており、僕はちょっとうらやましくもあったがとにかくカゼ気味で疲れていたのでそのまま床につくことにしたのだ。ドア一枚を隔てて連中のがやがやと騒ぐ喧騒が漏れ聞こえてきてなかなか寝ることができなかった。そのうち消灯時間になった。騒いでいた連中がどやどやとドミに入ってきた。部屋がぱっと明るくなった。今から考えてみればこのときすでにやばい雰囲気になりかけていたのだ。僕の二段ベッドの上に泊まっている彼がベッドをがたがた言わせながら梯子を上った。
そして僕はそのとき、昨日の夜に一瞬だけれども蚊が飛んでいたのを思いだしたのだ。暗くなってから蚊取り線香を焚くのは大変だ。今のうちに焚かないと。でも一応聞いてみるかな。僕は梯子を上り終わった彼に話しかけた。
「昨日、蚊がいませんでしたか?」
「え? ……ええ、なかなか楽しかったですよ」
彼はまったくとんちんかんなことを言った。
「……いや、あの、モスキート……」
その瞬間だった。
「黙っとれや! 何時やと思ってんねん!」
雷が落ちたようだった。僕たちは一瞬思考が止まってしまった。なんだ。何が起こったんだ。
「す……すいません」
ベッドの上の彼が、僕に変わって謝った。
それっきり誰かが会話をすることもなく、黙念と時間が過ぎ、電気が消えた。暗闇になった。誰かが寝返りを打つギシギシという音といびきと寝息だけが聞こえた。
怒鳴りつけたのは僕の隣の二段ベッドの上で寝ている男だった。僕が床につく前にすでに横になっており、宿の連中の集まりにも参加せずに暗闇の中でじっとしていた男だ。ほかの連中がどやどやと部屋に入ってきて電気をつけたあたりでイライラが爆発しそうだったんだろう。
でもなんで僕がそんなに怒られるんだ? 蚊取り線香焚こうか相談しようとしただけだったのに。それどころか僕なんかかえって気を使って電気もつけなかったし、外の騒ぎにも参加しなかったのだ。誉められこそすれ、怒られる理由なんてどこにもないはずだ。
そう考えると、僕は怒鳴りつけた男に対する怒りがむらむらとわきあがってきた。どんな野郎だ。あそこでベッドから引きずりおろして殴りつけてやればよかったな。男はきっと目の細い狡猾そうな顔をした神経質な男に違いない。弱いくせに格好ばかりつけるタイプだ。僕はその男を外につれていって殴りつけ、蹴りをいれてまた殴りつけ、そうやって男を痛めつけるところを想像してうさを晴らしていた。ばかめ。なめたこと言ってやがるからこんなことになるんだ。覚えとけ。
そんなことを考えながらいつのまにか眠ってしまったようだ。
ふと気がつくと夜が明けていた。部屋はほんのりと明るくて、すでにいくつかのベッドはからだった。誰かがごそごそと仕度をしている。
それはあの男だった。逆光になってよく見えないが、男は何かぶつぶつ言いながら荷物をまとめているようだった。そして男の姿を薄目を明けて仰ぎ見たとき、僕はすべ
ての謎が溶けたような気がした。
男はスーツを着ていたのだ。
その瞬間、僕は、男の僕たち遊びできている旅行者に対する侮蔑や軽蔑の気持ちと、そしてそれに勝るほどの羨望の気持ちが痛いほどわかることができた。そして消灯時間を過ぎたあのときに話をしたことを申し分けないような気持ちで反省したのであった。
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文・中山茂大
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ソウルの
食べ方歩き方
文:中山茂大
写真:Ju Jun Yong
イラスト:水野あきら
山と渓谷社
1200円(税別) |
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ロバと歩いた
南米・アンデス
紀行
中山茂大
(なかやましげお)
双葉社
1,600円(税別) |
「ソウルの食べ方歩き方」の著者・中山茂大の記念すべきデビュー作。ロバとともに南米大陸5700キロ徒歩の旅。強盗に襲われ、大雨にみまわれ、寒い日も暑い日も歩き続けた307日の記録。貧乏トラベルライター中山の原点がここにある。
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ベトナム横丁
喧喧録
水野あきら
(みずのあきら)
文・イラスト
三修社
1,400円(税別) |
「ソウルの食べ方歩き方」の詳細なイラストマップでもその持ち味を充分に発揮してくれた水野あきらの代表作。この本ではイラスト同様味のある文章で我々をベトナムに誘う。人込みの中でしゃがみ、街の底から、底抜けの活気の正体を見つめたベトナムの絵解き見聞録。カラーイラスト多数。
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四国霊場
徒歩遍路
小野庄一
(おのしょういち)
文・写真
中央公論新社
1,700円 |
弘法大師・空海の足跡を訪ねながら四国八十八ケ寺・1,400キロに及ぶ道程を48日かけて歩いた写真家が見たこと、感じたこと。スピリチュアルな写真と珍道中のエピソードで綴るフォト&エッセー。振り回され、助けられ、途方に暮れながら、少しづつ進んでいく等身大の徒歩遍路を読者も体験できるであろう。徒歩遍路必読ガイド&地図付き。
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